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【lunatic】
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今宵は満月。
真円を描いた銀の恒星は青白い光を地上に注ぎ、
風景は恰も雪が振り積もった様な輝きを帯びて何処までも続いている。デルムリン島を出て大陸に辿り着き1日目の夜。
月光は明るく、そのため森を往くダイとポップも不思議と高揚し、何時もなら疾うに野宿の支度へ取り掛かっていい時間でも、
月を眺めながら歩を進めていた。特にポップはムズムズと胸の奥から湧き出す感覚に落ち着かないようだった。
「どうしたんだ?何か違うね」
野性的な感覚の鋭いダイは、隣を歩くポップの身体から発せられる雰囲気が、
何時もと変化している事を感じ取り、横顔を見上げた。「ん…まあな、ダイは感じねーか?」
「何を」
こうして昼とは違う顔を見せる月光の世界を歩く事はワクワクするけど、
どうやらポップの問い掛けは違う事を指しているようだ。そっかー、やっぱ特有なもんなかなぁ、などぶつぶつ呟き考え込んでいる。
「ねぇ、何がだよ」
謎めいた独り言を言うポップと、感覚が共有出来ない僅かな苛立ちに、
ダイの胸には波紋の様な細波が広がり少し強い口調になる。
しかしそんなダイの胸中を知ることも無く、ポップは天外にぽかりと浮かぶ月をじっと見詰めた。「多分、月が満ちてるから、魔法力が増幅されてんだ」
「え?」
トン、とポップは親指で自分の胸を指し、力の在り場を示した。
「なんだろな、引力とか波動に影響されんだって、先生に習ったんけどよ」魔女や魔法使いにのみ顕著に有る現象だと、師は言っていた。
僧侶が聖の領域に在る身なら、
魔法使いは、魔の領域に近い。だからこの様に夜の勢力が最大で強まる満ちた月の夜は、影響を受けやすいのだと。
言われてみれば、とダイは頷いた。
ポップに感じる違和感は本人が意図せずとも漏れ出す、魔法力のせいかも知れない。それはまるで器から汲みきれなかった清水が溢れるように。
「今までだってよ、こーゆう時は多少、力が増した感覚はあったんだ」
アバンに魔法使いとしての修行を受けてから、満月の度に訪れる微かな不思議を感じていた。
でも、こんな風に押し流されそうな力の奔流は初めてで、
ポップは奇妙な高ぶりに不安を隠せない。「躯ん内が塗り潰されそうなる…何かじっとしてらんねぇ感じ…」
んん?。
と、何かを堪える様なポップの小さな呻きに、ダイはどきりと心臓が鳴った。月光の青白い光に照らされ浮かぶ、細い眉根を寄せたポップの横顔は、
まるで陽の下の賑やかでおどけた彼とは別人の様な印象で。見てはいけない秘めやかなものを、見ているような狼狽を覚える。
強まる鼓動にダイは戸惑ってポップから視線を外した。
ポップはそんなダイの様子に気づく事無いまま、思考に耽る。
此までと何が違うのか?堰を切った様に力が満ちる。纏う旅のマントの上から、利き手で胸の辺りを握り込んだ。
衣服の下で硬質な手応えが指に触れ、不意に逸れの存在を思い出す。(アバンの印…)
考えてみれば実家を飛び出して一年以上経つが、
何時でもポップの前には絶対的安心を与えてくれる存在が在った。――しかし。
見守ってくれていたアバンはもう、いない。
庇護される存在から、独りその脚で立たねばならぬ立場になった事。
生き残るための自己防衛の本能が、
今ポップの中で急速に能力を開花させつつあるのだろう。
だがその変化に精神がついて行けない。
無自覚な脅えに背筋がふるえた。.
「ポップ」
不意にその握り締められた手袋の上から、ダイの小さく厚み在るしかし力強い手が捕まえた。
「大丈夫」
ダイの強い意志を含んだ丸く大きな、
月色を反射し黄金と輝く瞳がひたりとポップを見上げていた。「俺がいるよ、独りじゃ無い」
ポップの怯えを感じ取り、ダイは何とかしてやりたいとゆう気持ちに強く突き動かされる。
単純な魔物達と友達だったから、
言葉の巧みなど、持ち合わせていない。
雑多な感情を所有する人間同士の、
上手いコミュニケーションの取り方など判る筈がない。しかしだからこそ真摯な言葉は遮るもの無く、ポップの内に響いた。
強張った指先が服から解かれ、小さな手を握り返す。
「ああ…サンキュ」
ダイの手に繋がれた時から、不思議に魔力の暴走もピタリと止んだ。
ポップは月の呪縛から解放されて、ほ、と小さく息を吐く。
「さっすが勇者の卵、ってとこか?」
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年下のダイに頼ってしまった気恥ずかしさから、ワザとからかうように告げたのに。
ダイの表情はまだ堅く、指先は益々強く力を込める。「ダイ?」
「離しちゃ駄目だ」
下から見上げるダイの視界には、月を背負い燐光を纏うポップが在る。
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――まだ、
――月が見てる。
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空に挑むかの様な面持ちのダイに、ポップは小さく笑った。
「わーったよ」
ダイとて育った島を離れ、不慣れな旅に不安も有るだろうとポップは思い、
しっかりと手を握り返してみせる。「さぁて、今夜中に森を抜けてロモスへ急ごーぜ。幸い月も明るいし?」
何時もの調子でおどけて見せて、先程までの不安定さを払拭した。
「…うん、そうだね」
ポップの気配が完全に戻った事を確かめると、ダイもようやく厳しい眉根を緩め、力強く頷いた。
手のひらに在る相手の温度は、とても心地よく、
繋いだその手のまま、二人は再び歩み出す。旅はまだ始まったばかり。
今はお互いだけが頼りなのだから。
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……実際はこの後、3日間森をさ迷う羽目となるのだが、
それは月に狂わされたせいなのかどうか、
定かでは無い。.
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【終】
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2008/9/24
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