. . . . . 【両腕に在る世界】
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「ちょっとそれも限界だな…」
路傍をゆく馬車のホロの内、ガタガタと不定期な揺れに舌を噛みそうで黙っていたポップが、
不意にダイの履いているブーツを指差して言った。「え?そうかな、まだ大丈夫だよ」
上背が今では立派に伸び狭く感じる馬車の空間で、他の乗り合い客の邪魔にならぬよう、
膝を抱えてなるべく小さくなっていたダイが、自分の足元を見やる。膝下まである黒の革製のブーツは、徒で行く長旅の負担を一手に引き受けていた。
町に寄ったときは靴屋に修理に出したりして、良く手入れされていても、
雨や無数の傷に草臥れて、所々革が薄くなっている。靴底の滑り止めも無くなっていた。
此では普通なら、岩場や砂地で脚をとられるだろう。
しかしながらダイは常人では無い卓越した運動神経を持つため、そんな状態でも余り不自由さを感じずに来れてしまった。
「いーや、限界だ、丸2年だろ?買い替えだな」
「まだ穴開いてないし、いいよ」
「おぉい、開くまで履く気か?!」
ポップはダイに比べて肉体労働的な動きが少ないせいか、靴の摩擦も少ない。
服などの常備品は結構マメにチェックを入れるのだが、
注意して見なければ相手の靴の裏までは、流石に気付かなかった。マントや服などならある程度の劣化は問題ないが、
身体的行動に与える影響を考えると、やはり剣や杖と同じくらい靴も大事と言えた。一度気になると、とことん目についてしまうらしい、次いでに他の所も。
ポップは向かいに座っているダイの全身を眉をひそめて点検し出した。.
何時もはポップに見詰められれば嬉しいし、胸の深い処が高鳴るのに、今は何だか居心地が落ち着かない。
ダイは膝を抱えた姿勢のまま小さく身動ぎした。
「よし!決めたぞ、次はちょうどベンガーナの近くを通るじゃねぇか?だったらチョイと足を伸ばして行くぞ」
「行くってベンガーナに?」「いい装備揃えんならあそこっきゃねーだろ、世界一のデパートがあんだしよ」
「え、靴なら次の町でも買えるよ?」
「何言ってんだ、この際だから色々キチンと良いもんを買うぞ」
自分の思い付きに満足なポップは張り切って、馬車を繰る男に途中下車の声を掛けている。
ああなったらポップはガンとして、意見を変えない事は知っている。
「よっしゃ!都会派のキレイな御嬢さんに会えるチャンス!!」
と小さくガッツポーズを作っているポップを見て、
案外それが一番の本音なのではとダイは苦笑した。「でも…やっぱりもったいないなぁ」
ダイは自分の脚を包む、よく馴れた靴先を撫でる。
元々モンスター島で育ったダイにとって、人間用の服や靴などの日用品はとても希少なので、
直して繕ってそれでもダメになるまで使うのが基本だった。魔界に墜ちた時は其より酷い。
着えの服はおろか、身体を清める事も出来ず何ヵ月もさ迷った事も在った。それを考えると何だか駄目になってないもの
(正確に言えばもう機能上最良ではないが)
を捨てるのは贅沢な気がして、気が引ける。
「そう言えば何日もおんなじ服着てて、レオナに怒られた事もあったっけ…ちゃんと洗濯してる服なのに」短い間だったが、魔界から帰りパプニカ城にて心身の回復をしていた時にあった事柄を思い出して、少し可笑しい。
ポップとレオナは結構似てる処があるのだ。
本人達に言ったなら一斉に批難が上がりそうだが。.
ごとり。
不定期に揺れていた馬車が停まった。
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「ダイ、降りるぜ!」
「あ、うん」.
深緑の魔法衣とマントをなびかせて身軽に飛び降りた後ろ姿を追って、
ダイも思考を中断させ外の空気を胸に存分吸い込みつつ、地に降り立った。.
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予定していた町への路を反れて、国の整備した大街道筋に沿って合流し暫く歩けば、次第に賑やかさを増す。
商人のキャラバン、野菜や果物を売りに来る農民、大道芸人、旅行の家族連れ、
武を好むベンガーナ王の宮殿へ士官に意気揚々な若者達――。大都市ベンガーナを目指す多種多様な人々の群れに紛れ、ダイとポップは悠々と辺りを観察しながら都市入りした。
以前大戦時にレオナに連れられ訪れた時より、さらに発展を遂げた貿易都市国家は花開くような艶やかさで二人を迎える。
「わー…なんか…」
「一段とデカくなってねーか?」
「う、うん」
目当てのデパートは街の中央に構えていたが、以前王宮と見間違えた本館の更に隣に
『別館・家庭日用品店』
までプラス増築されて建っていた。入り口をくぐると、人の多さに進むのも一苦労する。
「益々大盛況みてーだな」
「もう魔王軍に襲われる心配は無いから、護身用とか?」
「ベンガーナは元々武力重視国家だしな。魔王軍がいなくても、今度は人間同士牽制しあうって訳さ」
やや険のある皮肉を込めた物言いで、ポップが呟く。
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大戦が終わった後も、ベンガーナは軍事の縮小をする処か、
大戦で学んだ自国に不足している魔法による武力強化も行っている。そのくせ、ダイが帰還した時に、勇者と大魔道士がパプニカへ揃っている事による戦力独占を唱えたのも
この国王だったから、ポップのベンガーナ王への覚えは大変良ろしくない。.
しかしそれでもやはり武器屋の息子。
百貨店の品揃えについつい興味が引かれるのか、楽し気に辺りを見渡している。.
「滅多に来るもんでもねぇしさ、前みたいに一旦上まで行って、一通り見ながら降りてこよーぜ、ダイ」
「うん、それがいいよね」
二人はエレベーターに乗り最上階に向かった。
まずは五階の服と鎧の階にて、替えの服などを物色する。
「お、あれ見てみろよ?」
ポップの指差す方向にダイが視線を向けると、
フロアのメイン商品なのだろう。中央の赤い絨毯が敷かれた台座に、仰々しく立っているのは、白銀造りな上に眩いくらいに磨かれて、
胸当てや手甲、冑に繊細な飾り紋が施された重厚な全身用鎧だ。『新作!最高級、騎士の鎧』
と銘打った値札は7000万G。
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「くは―っ相変わらずトンでもない数字してやがるな」
冷やかしに近づいて、細工を覗き込んだポップの顔が胸当てに映る。
「額当てにくっついてる宝石の値段じゃねぇの?肝心の防御力はあんのかよー、
つうかこんなド派手鎧似合う奴がこの世にいんのか??」自分が買うわけでも無いのに、ついつい値段を見ただけで
ぼやきを漏らしてしまいたくなる、小市民なポップだった。「へー、すごいね」
ダイも値段を見て目を丸くしている。
「お前好きだよな、こうゆうの」
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「子供の頃は強く見えそうで、ちょっと憧れたかなぁ」
「そういえば、昔、姫さんと買い物来たとき、お前買ってたよな」
「あはは。カッコいいなーって、つい試着してさ」
当時はまだ自分は強い勇者に憧れる小さな子供だったから。
思い出して、照れた笑いを浮かべる。
「懐かしーね」
「そういや今なら背丈もちょうど良いし、着てみりゃ良いじゃん?」
「はぁっ!?いやっいいよっ」
ダイの中では昔、小さい体に無理やりフル装備して、かえって動きにくくなった印象が抜けないらしい。
そこにすかさず揉み手で近寄ってきたのは、売り場の店員だ。
「いらっしゃいませっ!こちらの『新作!最高級・騎士の鎧』をお求めですか?」
「い、いえちょっと見てたとゆうか…」
「お目が高い!これは防御にも攻撃にも優れた最先端の技術で作られた鎧です、
剣士のお客様の背格好にもぴったりかと思いますよ!」「あの、その俺は別に」
困り顔でポップに助けを求めれば。
「いや〜参っちゃうな〜」
何時の間にやら。
美人な年上の女性店員に鼻の下を伸ばして、魔力効果が付属したマントを勧められているポップが目に入った。
「!!」
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ダイの表情が僅かに曇る。
幾らポップが今、自分を一番に想ってくれていると信じていても。
ダイの中に本来自由奔放なポップの心を繋ぎ留めておけるだろうかと、
不安が痼の様になって根付いている。其れでなくても友情の域を超えた想いを認めて、名実ともに受け止めて貰うのには、
旅を始めてから二年の歳月が掛かったのだ。だから実際問題、今現在の様なポップの頬を染めつつ情けなく伸びた顔に
あんまり心穏やかでは居られない。楽しげに盛り上がる美人店員とポップを、
僅かに皺を寄せた眉間にて見詰めたダイに、何やら勘違いした店員がニヤリと笑んで、
小さく囁いた。「男子と云えど身だしなみは、大事ですしね。
きちんとした姿はきっと意中の女性(ひと)も、目を奪われる筈ですよ」「…え?」
哀しいかな、最後の一言に思わず反応してしまった。
確かに自分の旅衣は長旅に何度も洗濯して色褪せてるし、
ポップに最初に指摘を受けたブーツも言われるまで気にしてなかった。人の美醜にダイは拘らないが、ポップはどうか?
(ポップは俺の何処が好きなんだろう?)
ぐるぐる思考に填まりそうになったダイの背中を、店員がポンと促した。
「さぁさぁ、こちらの試着部屋へ。コーディネートは任せて下さい。」
「えええ?」
妙に張り切った店員に何だか押し切られる形で、ダイは試着部屋に入った。
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「あっれー?ダイの奴どこいった?」
美人の勧めに弱いポップと云えど、本当に必要な物でなければ荷物になるだけだ。
旅慣れているので倹約が身に付いている。上手に断り、一人になったポップはダイの姿をフロアに探して歩いた。
しかし、本来とても人眼を引く筈の、大樹の若木の様に伸びた背と、本人と同じ元気なツンツン頭が見当たらない。「……拗ねたかな」
人の色恋沙汰にドライな所があるクセに、自分は独占欲が結構強い年下の勇者。
先程ちょっと面白く無さそうな顔で、視線を向けてたのは気付いた。
けれどポップの性質は今も昔も変わりない。
美人を見れば眼福と思うし、御近づきになれたらもっと嬉しい。楽しめる時に思い切り楽しむ。
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しかし、結局の所。
ポップが只一人選ぶのは、決まっている。
それら自分を形創る、全てを投げ打っても選ぶのはダイだ。
(それをいい加減解れよな)
ポップはほんの少しそんな意地の悪い思いから、放っておいたのだが。
「なんだよ、本気でいないな…先に次の階に行ったのか?」
下へ続く階段に眼を向けた時に、買い物客達のざわめきが背中の方から伝わってきた。
「ポップ」
「お、ダイ、お前どこ行って…た、…んだっ?!」
ポップは、そこから二の次が告げなくなる。
濃い藍色に金の飾り紐が付いたマントを緩やかに纏わせて、
白銀の粒子が煌めく鎧に身を包んだ凛々しい青年騎士が、歩んで来る。全く重さを感じさせない軽やかさで、フロアの中央を真っ直ぐポップの元へ横切る間、
その階にいる女性達からは溜め息の様な感嘆が、細波の如く湧く。「…マジ?」
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(挿し絵:えあ様)
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誰がこんなの似合うのかと思っていた、やや過度な浮き彫り式装飾さえ、
後ろに鋤いて整えられた黒髪に良く映えている。
ダイのシンプルだが精悍な顔立ちと相まって、いっそ爽やかだ。まるで吟遊詩人の物語から抜け出た英雄の様な、騎士の完璧な姿。
「…よくお似合いです…っ!」
デパートの店員はダイに、暫し口を開けて見惚れていたが、はたと我に返るとお世辞抜きに心底から感嘆の声を出した。
ポップの前で立ち止まる。
「何か、着ることになっちゃって…」
少し照れたように笑う笑顔さえ何時もより眩しい。
(そういや、こいつ。王子様だったっけ…)
何だか今更ながら再認識して、ポップは上から下までまじまじと見てしまったり。
「こんな格好あんまりしないから、何か落ち着かないや」
ポップの呆気に取られた表情を、似合ってないせいだと思ったらしい。
「やっぱり、変かな?」
「何で俺に聞くんだよ」
そんな、わかりきった事。
フロア中の陶酔した、熱い視線を見れば一発だ。同じ性別でも惚れぼれる位いい男前っぷりに、ポップは軽く臍を曲げる。
「えっと…」
ポップに睨まれ、ダイは何と説明するべきか、戸惑ってしまう。
まさか先程の経緯は、恥ずかしくて本人に言える訳無い。
そこに例の店員が満面の笑みで割り込んだ。
「どうです?ご友人の方、此なら彼の思い人も惚れなおす事請け合いでしょう」
「…は?」
「わあぁっ!違っ!何でもないんだ!」
途端にダイの顔が耳まで血が上り赤くなった。
其れを見て、鈍いポップも流石に何かに思い当たった。
(まさかコイツ…俺に見せるために着たってのか?)
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真っ直ぐポップを見下ろすダイは、
フロア中の視線が自分に向いている事なんかに気が付いてやしない。そのくせポップの微妙な変化に、不安な子供の様な表情を向ける。
其が可笑しくて、――何だかくすぐったくて。
ポップは小さく笑った。
「あーやっぱり変なんだっ!すいませんこれ脱ぎます」
さらに首まで赤面したダイは慌ててわまれ右すると、優雅なマントを翻しながら疾風の如くに
試着部屋へ駆け込んでしまった。「え、勿体無い…」
店員が止める間もなく、ダイは元の着こなれた旅衣に着替えて出てきてしまった。
まだその頬が朱に染まっている。
「何だ、買うんじゃないのか?」
「買わないよっ次の階に行こうっ!」
くすくすと笑うポップの顔も、恥ずかしくてろくに見れない。
少し乱暴なもの言いで誤魔化して、早足で階段を降りてゆく。「待てよダイ」
階段の踊り場で振り返ったダイに、何かポップが放り投げてきた。
「!?」
デパートの包み紙でくるまれた小包を受け止める。
紙の上からの手触りは、何かしっかりとして固い。「それなんかどうだ?」
「??」
どうやら開けてみろとゆう事らしいので、ダイはラッピング紙をなるべく丁寧に剥がして開いた。
「あ!そうだった」
旅用にあつらえられた一足のブーツ。
黒い磨かれた革に留めのベルトが三本付いていて、脚に固定出来る為、激しい動きにもブレが出ない。
底もかなりの長旅に耐えられる厚みがある。
使用されている革だって、軽さと丈夫さを備えた上等な物だ。結構値も張るだろう。
「ポップが選んでくれたんだ?」
嬉しくて満面の笑みを浮かべるダイを見て、ポップは少し得意気な表情になる。
「サイズは大丈夫だと思うぜ、履いてみろよ」
「うん」
階段に腰を下ろして古い靴を脱ぎ、
まだ真新しく硬めな革の手触りを感じながら履き替える。「本当に丁度だ」
立ち上がり地面を踏み締め、キュッと踵に体重をかけてみた。
安定した感覚が靴底を通して体の芯に伝わり繋がってくる。
不思議と幾らでも素早く動けそうな気がした。
「何だかんだ言っても、やっぱり違う」
「だろ?」
「何処まで歩いても疲れなさそうだね」
「おうよ、多少高くても良いもんは丈夫だから、ずっと前のより長持ちするぞ」
階段を降りてきてダイの隣に並ぶ。
「大事にしろよー、俺が買ってやったんだから。
前のより長く持たせたら、次のもプレゼントしてやるぜ?」口角をちらりと引き上げ、おどけた表情でポップは冗談めかしたが。
思いがけずダイは真剣な眼差しで、頭半分低い処にあるポップの眼を見下ろしていた。
「それって、これからも、俺とずっと一緒に旅してくれるって事だよね?」
「へ?あぁ、まあ。そりゃそうだろう」
何を今更。と
言いかけた所で、強い力の両腕に頭ごと抱き込まれてしまった。
肩口に埋められたダイの硬い髪が擦る様に動くと、ちくちくうなじを刺す。
「おーい、いてぇよダイ」
トントンと指先で背中を叩いて解放を促す。
暫しの迷いを見せた後、ダイは少しの隙間を開けて顔を上げた。「ごめん、何かさ…」
上手く伝えられないもどかしさで、困った様に凛々しい眉根を寄せるダイに。
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「しょうがねぇなあ」
ポップが笑った。
抜けるような空の青の中へ、飛び立つ鳥のイメージ。
ダイの一番好きな笑顔。ポップが笑う度目が覚めた様に、ダイの周りは色を取り戻す。
自分が背負った血の責務も、魔界の暗い日々も、
何もかも薄れる程に光溢れる、君の隣。.
今この腕の中其処が、世界の全て。
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もう一度ダイは、包む腕に力を込めた。
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人の行き交うざわめく雑踏にデパートの出口から踏み出した二人は、外の風に揃って肺から深呼吸する。
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「さぁて、装備もバッチリ決まった所で何処へ行くかな」
「此処に来る前に予定してた町は?」
「おう、そいつが良いな!」
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「ポップ」
「ん?」
「え、と。ありがとう」
「何をだよ」
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「色々な事、多分全部」
「…おうよ。じゃ、ま、行くか」
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「うん、行こう」
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新しい靴は、かつり、と軽快な音を立てて路傍の石畳を蹴った。
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【終】
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. 2008/9/4 2009/9/2 えあ様からいただいた挿し絵追加☆ . (ブラウザの戻るでお戻り下さい。) . . . .