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その大地は。

正確には地図にもう無い。
完全に滅びた亡き八つ目の国。
『アルキード』今その名残は名前だけだ。

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アルゴ岬から遥か水平線に程近く、
乱雑に裾が切り立った剥き出しの岩棚が海から疎らに生えている。
かつて針葉樹の深く豊かな森と肥沃な大地がそこには在ったとゆう。
しかし、ある竜の逆鱗に触れて全ての自然も、国も、人も、
滅ぼされ尽くした。

竜の名はバラン。

今でも竜の騎士呪いか棲む生物は何も無い無人の孤陸―…

そこにヒュンケルは降り立った。

キメラの翼はルーラ同様、行ったことのある場所にしか行けない。
ヒュンケルが此処に来れたのは、過去たった一度だけ
ポップと旅した時に、市街地近くに現れた凶暴化したモンスターの群を
ポップが自分とヒュンケル含め纏めて、
この地にルーラした事が在ったからだ。

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かつて大魔王パレスにて、敵を自分の陣地に連れ去り存分に闘うとゆう、
オリハルコン親衛隊との戦歴から学んだ彼の戦術だった。

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永く世界を流離い、人が行かない場所を
海に陸にしらみ潰しに捜すポップぐらいにしか
見付けられなかっただろう亡国の跡地。

何故ならこの辺りの海は変形した海底に潮も激しく、
切り立つ岩に逆巻く気流も乱れていた。

海からも空からの気球も近付けないのだ。

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ヒュ.ンケルは荒涼とした岩ばかりの辺りを見渡す。

過去の百分の一ほどになった猫の額ほどの島だ。
ここに比べればデルムリン島の方が3倍は広い。
少し歩くと目的の人物はすぐ見付かった。

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「やっぱあんたに此処を教えるべきじゃ無かったな」

皮肉な物言いは相も変わらず。

濃緑色のローブを強い風に大きくはためかせて、荒れ地に立つポップがいた。

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「で?姫さんに俺を止めろととでも言われたか?」

肩を竦め笑って見せる。
「俺が何してんだか、最近色々探りを入れてたみたいだし」

四年前の大戦より熟練が増した鋭い思考は、当にヒュンケルの目的を見抜いていた。

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「せっかく御越しいただいて恐縮だがよ」

ポップは手にしたロッドの先をヒュンケルに向けた。

「直ぐにお帰り頂く事になると思うぜ?」

最後に会った時より、少し痩せた肩幅。
しかし代わりに凄味が宿る闇夜色の瞳。

ポップがどんなに強力な魔法使いかは、勿論知っている。
しかし彼の真骨頂は、クールに徹した時の、その頭脳だ。

「ポップ」

ロッドを向けられても構える事無く、ヒュンケルは真っ直ぐに視線を合わせる。

「お前、ダイを信用してないのか?」

ヒュンケルの足元にギラの閃光で穴が空いた。
「黙れよ」

「ダイは生きている、なら信じて待てばいい」
ポップが弾かれた様に笑う。
「だから待てって?何時まで待てばいい?後10年か、50年か?!」

やっと笑いの衝動が収まり、くっくと喉の奥で圧し殺す。

「だからお前は世界の境界を渡ろうとゆうのか、ダイを探すために」

「あんただって知ってんだろ?」

不意に苦痛へ耐える瞳が浮かぶ。

「何処をどんなに探しても、ダイはいない。
やっぱり他所にいっちまってる、でなけりゃとっくに…」

今でも昨日の様に蘇る小さな遠ざかる背中。

「ダイは俺を呼んでる筈だ」

竜の騎士のダイは、ポップより強い、しかしいざという時、
ダイはポップを信用し、その判断に命を預ける。

それがどれ程ポップの中で誇らしかったか。
「駄目なんだ、時が経つほど駄目になるんだ」

ダイが自分を呼んでる。
声も思念も届かない時空の壁の向こうから。
そう考えると、気が狂いそうになる。

「4年も帰って来ないって事は、アイツ、
還りたくても帰れないって状態なんじゃねぇか?!」

ヒュンケルは、自分を睨み付けながらも、
今にも泣き出しそうに肩を震わせるポップを、静かな目で見詰める。

そう、知っている。
小さな勇者は、本当に助けが必要な時、
この勇者の魔法使いの名を呼ぶだろう。

同じ仲間でも、二人の絆は特別だった。

しかし、だからこそ。

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止めなければならない。

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「お前がいない間にダイが還って来たらどうする」

「……」

ロッドの先が僅かにぶれて、ポップの心情を映す。

「お前の約束を、支えにしている姫はどうする」

「マァムはそんなお前を望まないだろう」

ヒュンケルは残酷と知りながらも、言葉を紬いだ。

それは、真実であったし。

ポップにとって確実に現世への足枷だ。

軽薄に見えて、何より情に脆い人間的なポップ。

沢山の繋がりを全て、投げ打ち、
全ての絆を砕くのか。
ヒュンケルの言葉は暗に告げる。

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それはダイを失い、我を失ったポップに、
かつてのような快活な光を取り戻したいとゆう、ヒュンケルの望みでもあった。

ダイばかりがポップを求めているのでは無い。

何時でもパーティの中心であった、士気を司るポップ。

彼に救われ、彼を信じたのは、

勇者だけではない。

その事を、ヒュンケルはポップに分からせたかった。

思い出せ、と呼び掛ける。

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「成功率は何割だ?そんな賭けのような真似をして、
本当にダイがお前を呼んだ時…」
「んなの!何度も考えたっ!!!」

断ち切るような声。

「…考えたさ」

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ほろり、とその頬を雫が伝う。

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この様に静かに哭くポップを、ヒュンケルは見たことは無い。

「それこそ、気が違っちまうほど」

大事な人達。

自負でなく、自分が居なくなった後悲しんでくれる人々。

「こいつはさ、もうただの俺の我が儘なんだ」

啼きながらポップは微笑んだ。

「ダイを大事なように、皆やはりお前の事も同じ位大事なんだ!」
初めてヒュンケルは声を荒げた。

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「俺とダイが同じ価値なんてこたぁねぇよ」
何の躊躇いなく選べる。

勇者に、ダイに優るものなど何もない。

例え、自分がいなくなっていても、
ダイさえいれば。
皆立ち上がり、希望を取り戻せる。

僅かに狂っていく世界の欠片、自分達の欠片。
全てダイがいなくなってからではないか?

ポップが皆と繋がり、自分の限界を超えて辿り着いたのは、ダイの隣だ。

きっと皆がそうだろう。

だから。

「俺は行く」

「ポップ!」

「止めたきゃ、ぶん殴って、手足を折って、
魔法を封じて、地下にでも鎖で繋げよ。」

「!!」

ロッドが閃き、ヒュンケルに不死鳥の焔が放たれた。

咄嗟に闘気のオーラで防御する。
それでも灼熱で身を焦がされた。
凄まじい魔法力。

本気でポップはヒュンケルに全力の力をぶつけた。

(解った。これがお前の意思ならば、お前が俺に最後の選択肢を渡すなら)

迷いは捨てて、お互いぶつかるしかない。

ヒュンケルは長らく背に封じていた魔装を纏った。

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ポップはトベルーラで天に飛翔する。

地上ではヒュンケルのスピードに捕まる恐れがあるからだ。

目眩ましに連発してイオを放つ。
撹乱し、それに乗じて高等呪文で片を着けるつもりだ。

弾くまでもなく魔力の雨を正確に掻い潜り、ヒュンケルは魔矛を天駆けるポップに繰り出す。
闘気は今やヒュンケルの意思により、自在に形を変える事が出来る。
槍の実寸を超えて、一直線に上空のポップへ届いた。

以外な飛距離に胸の装衣を浅く斬られながら、ポップは身を翻し避ける。

「やるじゃねぇか、一年前には見なかった技だぜ」

「精進しているのが己のみと思わんことだな」

短いやり取りの後には、息も吐かせぬ魔法と闘気の応酬。

狭い忘却の国は耐えかねる様に振動する。

探り合う力の拮抗に亀裂が生じたのは、
ポップが急にその身を苦し気に折り、天空から失墜した事だった。
「ポップ!?」

今の瞬間まで剣を向け合っていた事も無に帰した様に、
ヒュンケルは真っ直ぐ地に墜ちるポップを目指して疾駆した。

「…!!」

固い荒れ地へ叩き付けられる間一髪にて、その身体を受け止める。
「…く、そ…ッ」

歯軋りする口許から、咳と共に赤い血潮がごぼりと溢れ、
ポップが好んで身に纏う鮮やかな緑の法衣を汚す。

「ポップ、お前…」

「見ての…通りだ、俺の身体はガタがきちまってる」

溢れた涙は頬を伝い、唇から滴る赤い血と共に渇いた大地に次々落ちて吸い込まれる。

「このまま死ぬのは…真っ平だッ!」

掠れて、擦りきれる様な魂の叫び。

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「何もしないまま、やらないまま緩慢に死んでくのなんて…ッ絶対に嫌なんだよッ!!」

ヒュンケルの支える腕を押し退け、よろめきながらも膝立ちに独り身体を支える。

そして拳が傷つくほど烈しく両手を地に叩き付ける。

「わかれよ…ッ!!」

削れて身体から漏れてゆく命。

ならば全ての戦いを、勇者の為に。

たった一人のダイの為に。

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「俺はさ、ヒュンケル」

いっそ晴々しい程の覚悟。
その血を吐きながらもヒュンケルを見上げる不敵な笑みに、迷いは微塵も無かった。

「例え失敗してもいいと思ってんだ」

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「そりゃ死ぬのは怖ぇさ、知ってんだろ?俺が臆病者なのは」

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「でも、ただ何にもしねぇで生きてんのは、死ぬより辛いからよ」

「だから行きてーんだ」

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「頼む…」

あの頑なにヒュンケルへ虚勢を貫いていたポップが、頭を下げた。

「ポップ…」

何を、頼むとゆうのか。

残して行く事か。

隠す病を皆へ告げぬ様にか。

お前を喪う全ての者にか。

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しかし、これ程苛烈に輝く魂の生きざまを、誰が邪魔出来ようか。

「…サンキューな」

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刮目した兄弟子に、ポップは心からの感謝に淡く微笑んだ。

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空に乱反射する巨大な魔方陣の紋様。
厚い雲を貫く凄烈な光。

ポップは真っ直ぐ翠色に躍動する魔方陣の中央に立つ。

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完成したオリジナルスペル。

その光の先は、何れか望む地へ繋がる筈の道標。

「この魔方陣は俺の輝聖石を媒介に、他の輝聖石とも共鳴して道を通してる。」

キッと光が指し示す先に挑む様に、ポップが表情を引き締めた。

「きっとダイに届いている筈だ」

ヒュンケルは頷いた。
何故なら彼の胸に輝く薄紫の印も、強く躍動しているから。

己を見守る兄弟子に、ポップは少し、照れたように顔を反らした。
「ヒュンケル…お前だけが覚えてくれればいいんだけどよ」

何を、と無言で問い掛けるヒュンケル

「この魔方陣は俺が生きてる限り、効力が消えない」

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だから。

消え失せ無い間は、例え時空の狭間だろうと。

「お前が生きて、ダイを探していると、伝えよう」

ダイを支えに生きるポップと同じ様に、
ポップを必要と生きる全ての人々へ。

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この魔方陣が有る限り、大魔道士の魔法が未だ健在であると。

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「…姫さんに、なるべく早くダイと一緒に帰るって言っといてくれよ」

「マァムにも謝る事だな」

「うへぇ!マジかよ。つうか、それが一番おっかねぇんだけどなぁ」

緊張感の無い所作はいっそ彼らしく。

ヒュンケルは口角を緩めた。

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「一つ誓え、ポップ」
「?」

「戻ったら、身体の治療に専念するんだ」

闇夜色の瞳が意表を突かれたように、見開かれる。

そして小さく

「敵わねぇな…」

呟き頷いた。

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「…じゃあ、行ってくるぜ」

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「ああ」

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信じているなど、今更疑い様もない。

ただその魂が輝き続けるためだと、思うから。

真っ直ぐ自分を見守るヒュンケルを認めてから、

ポップは高らかに詠唱最後の部分を唱えた。
辺りを緑光一色に染め抜いて、輝きは全てを呑み込んだ。

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――住む者のいない、最果ての地。

その蒼穹に吸い込まれる翠の円陣。

光の柱は輝き続け、何時か望みを叶えるだろう。

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それを知るのは、
無口な魔剣士のみ。

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彼は時折この地を訪れ、
旅立った魔法使いの無事を確かめる。

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「お前達二人揃えば不可能は無い、皆そう信じている」

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そう遠くない未来に再会を予感して、
ヒュンケルは滅多に浮かべない穏やかな微笑を、
端正な顔に刻んだ。

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【終】

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2008/6/25

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