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【何時か癒す傷】

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5日日振りのまともな寝床、何時もの様に欠伸をしながら寝汚なく布団にくるまったままだらだらし、
体内時計のせいで早起きな野生児ダイから無理やり布団をひっぺがされる。

「ポップ!ほら良い天気だよ!それに早く起きないと宿屋のおばさんが用意してくれた
朝食が冷めちゃうじゃないか」

十八才になっている男子にしてはやや幼い喋りかただが、
ダイの何処か憎めない人を和ませる雰囲気で違和感無い。

「…先に喰っとけよ、俺も直ぐ行く…」
「駄目だよ、そう言ってポップが起きてきた試しなんて無いんだから」

往生際が悪く剥がれた布団にかじりつくポップを、やや呆れ顔で見下す。

しかしすぐに何か思い付いた様にパッと顔を笑顔に変えると、
ポップの耳許にふっ、と息を吹き掛けた。

「のうああぉあッ!!!」

耳を押さえて文字通り飛び上がったポップを見て
「良かった、ばっちり目は覚めたみたいだね」
なんて普通に言うもんだから、腹いせに脛を思い切り蹴飛ばしてやった。
「イターッ痛いよポップ!」
「たりめーだ痛く蹴ったんだから」
ほんとは拳骨を頭に落としてやりたいが、最近めきめき成長中のダイにとうとう身長を抜かされてしまい、
出会った頃の様に気安くその頭に手が届かないのだ。

しかしすっかり目は覚めてしまった。
まだぶつくさ言いながら、ポップはやっとベッドから降りた。

「じゃあ下で待ってるね!早く着替えて来てよ」
おい痛がってたのは芝居か、と突っ込みたくなるような立ち直りの早さで、
ポップが起きたのを見届けると、ダイはたったと部屋を出て階段を下りていった。

「にゃろう…昔はもっと素直でかわいー奴だったのに」

あんな悪戯を覚えやがって、とポップはまだむずむずする耳に手を当てた。

二人だけのパーティ、しかし世界で最も最強の二人組。
もう旅を始めてから一年経つ。

決まった目的やあてが有るわけではないが、
ダイの不在の五年間で変化した世界をのんびり見て回ろう。とか、
勇者と大魔道士が一ヶ所に留まる事によって起こる面倒くさい外交問題を避ける為とか、
些末な理由は様々あっても、

とりあえず二人揃って冒険が好きだとゆうだけかも知れない。

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あふぁ
と大あくびをして、眩しい朝日が射し込む窓の外を眺める。
「ほんとスゲー良い天気…」
今いるのは小さな辺境の村。
宿屋の二階なので、建物の屋根を一つ飛び抜け空が近い。
蒼の染料を流し込んだかの様な、
突き抜ける青さが目に沁みた。

こんな空を見る度ズキリと思い出す痛みが記憶に甦る。

ダイを一度失った日の空の事を。

現在ダイは誰より近い隣にいる。
手を伸ばせば届き、声は応え、瞳は自分をちゃんと映す。

何処へも行かないと、独りにしないと、
誓ってくれた。

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しかしそれでも消えない傷はこうして疼く。
「まったく厄介だな」

ダイとずっとこのまま旅を、人生を歩んで行けばいつかこの傷も癒され消えるだろうか。

ダイ本人には照れ臭くて絶対言わないが、ポップは誰よりダイが大切だ。

一年前。
ダイが自分の側にいる。と選んでくれた事が、
どうしようもなく泣くほど嬉しかった。

それが友情か恋情かはもう大した意味は無く、
只ダイの魂が、愛しいのだと思う自分に気が付いた。

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…かと言ってダイが巷の恋人達のように触れようとするのを、
21年過ごした一般人としての常識から寛容出来ないが。

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「らしくねー、感傷的になってんな」

こんな爽やかな朝に相応しくない、とポップは自笑して、ぶるぶると頭を振った。

寝間着から何時もの長袖高襟の旅人の服に着替えて、ダイの待つ食堂へと向かった。
恐らくお預けをされた大型犬の如く、朝食を前にして
ポップを今か今かと待っている筈だから。

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焼きたての、ほわっと柔らかく芳ばしい白パンに
黄金の蜂蜜が掛かっている、
若鳥の香草(ハーブ)と長芋の包み蒸し、ヤギのミルククリームスープ、
朝取りの野菜とカリカリに焼いたベーコンのサラダ。

朝食は二人とも無言に成る程夢中で食べた。
ちゃんと調理された料理は最高に旨い。

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男二人の旅路だと、どうしても味気ない保存食や、
焚き火による所謂野性的な食事に偏るため、
こうして文明の味の有り難さに沁々感謝する。

「いい食べっぷりだねえ!」

食後の自家製野草茶を出しながら、宿の女主人は上機嫌に笑顔を浮かべている。

辺境の宿屋に珍しい若い旅人の、気持ち良いぐらいの平らげ振りに嬉しくなったのだろう。

「いやぁ!生き返ったよ!こんな旨い飯はパプニカの王宮だってありつけやしないって!」

軽快な口調はポップが大満足でご機嫌な証拠だ。

「王宮とは大袈裟だね」
あははと笑いが弾ける。

あながちポップが言っているのはお世辞でもない事は、
もちろんダイにしか解らない事だが。

熱い茶を啜る振りをしながら、ダイは眩しげに雑談へ応じるポップの横顔を見詰めた。

誰より大事な人。

こんな風に穏やかにまた旅が出来るなんて。
…まるで奇跡の様だと思う。

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つい一年前まで、自分は暗くて雷鳴と血が飛び交う魔界に身を置いていたのだ。

死んで終えば楽だと、生きていればもしかして地上に戻れるかもと、
二択の日々。

ポップを思い出さない日は無かった。

それだけが自我を細い糸で理性に繋がせた。
そして。

ダイの魔法使いは…

不可能とされた時空間の隔たりを超えて逢いに来てくれた。

もはや誰より愛しい。唯一の魂。

自分の生はこの人の隣で全うされるのだと、心より思った。

(きっと父さんもこんな風に母さんを思ったんだろうな)

結果的には引き裂かれた父母の絆。

だが、確かにその二人が存在した珠玉は自分で。

出逢いがあれば別れは何時かある。
肉体の死と言うあがらいがたい別れ。

でも例え魂だけになったとしても。

―俺はきっと離れない。

拳を無意識に握り込んだ。

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「―…ィ、なぁ?」

「え?あ、うん」

思考に入っていたため、話題を急に振られ焦った。

「そーか、じゃあ決まりだな」

何やら今日の方針が決まったらしい。

「ポップ、何が?」

「だから、この付近に手付かずの古代の遺跡らしきもんがあるから、そこ見に行くんだろ」

探求心にキラキラと瞳を耀かせながら、ポップが声を弾ませた。

こうゆう眼をしている時のポップは、何だか歳上とは思えない程幼くて、
まるで出会った頃の少年期を彷彿とさせる。
くるくる表情が変わる豊かな感情。
見ていて飽きない。

懐かしさに思わず微笑めば、ポップが不審な顔をした。

「んだよ?」

「うん、凄く好きだなぁと思って」

うっかり口を滑らせた。
途端に上機嫌が一転して眉がつり上がる。

「ばっかやろ!寝言は寝て言えっ!!」

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ガタッと椅子がひっくり返る勢いで立ち上がると、
ポップは二階にどかどか足音を立てて行ってしまった。

「おや、ケンカかい?」
お茶のおかわりを持ってきてくれたおばさんが、
先程までと違うポップの勢いに驚いてダイに訪る。

「ううん。大丈夫」

裏表ない明るい笑顔で、ダイは答えた。
それはサッと背を向けた時のポップの、
朱に染まった頬をその優れた動体視力で認めたからだ。

「美味しかったです。ご馳走さまでした」

ペコリと頭を下げると、ダイもポップを追って二階に上がった。

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「御免ってば、ポップ」

数歩路の先を行く濃緑色のローブ背中へ、
ダイは先程から謝っていた。

宿を後にした時から、ポップは応えずむっつりとしたまま速足を止めない。

「もう人前で言わないよう、気を付けるから」

「…」

「ねーポップ…」

その怒りが本気で無いのは知っている。
ただ。

呼ぶのに拒絶の後ろ姿は、何だか訳の判らない焦燥感をダイの胸に呼び起こす。

その名を、呪文の様に唱えるしか生きる希望を得られなかった
魔界の暗い記憶が蘇る。

手を伸ばし腕を捉える。

振り向かせた顔は、まだ意固地にしかめられいたが、
ダイの瞳と目が合うと少し見開かれ、二、三瞬き、深い平静の色を取り戻した。

ダイの、普段は明るく陰のない表情がまるで今は、
濃い絶望にも似た闇を宿して歪んでいたから。

しかしそれは直ぐに散々になり笑顔の裏に隠された。

「御免、ね」

(コイツは何時からかこんなに寂しい笑みをするようになった)

魔界を五年間さ迷っていた事が、
ダイの魂に癒えない傷をつけたことは有に想像できる。
そんなの今更言わずもがなだ。

その裂傷を何とか癒してやりたいと、ポップは常に思っている。

だが、その傷がふとした鮮血を流すのは、何時もポップを呼ぶ時だった。

少なくともポップはそう感じとっていた。

自分が原因なら、そんなどうしようもない事って無い。

つまり、自分がダイの傍に有る限り、その傷は血を流し続けるのだ。

そう覚っても、ポップは自らはダイの傍らから離れられない。

自分の心の傷の為に。
己の利己的な独占欲によってダイを傍に縛り、繋ぎ止めている。

本当はもっと優しくしたい。
ダイが望む様に甘く、正直な気持ちの言葉を与えてやりたい。

なのに強情で意固地な性格が邪魔をして。
変なところばかり常識人ぶる自分。

ポップは右手をうんと伸ばすと、頭半分程自分より高い位置にあるダイの頭を、
ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。

硬い髪質は手袋を通してもよく分かる。

「良かった」

赦しが得られた事を覚り、
今度は正真正銘心からのダイの笑み。

掴まれたままだった腕が更に引かれ、
広い肩口に身体は引き寄せられた。
ぎゅっとやや痛い程抱き締められながら、

(まあ此くらいは…歳上の器量で赦してやらなきゃあな)
と、照れる自我を誤魔化した。

「ポップ」

呼ばれてふと顔を上げた処、上から同時に降りてきたダイの顔が重なった。

「!!ッ」

慌てて離れようとするが、ガッチリ固定された両腕から無論力では抜けられない。

顔から火が出た。

もう歳上の古見もクソもあったものじゃなく、深くなる繋がりに翻弄される。

何とかしなければと、思い切りダイの足を踏んづけた。

「痛――ッ!酷いよポップ!何するのさ!」
「ば、かや、ろッ…んなの、コッチの、台詞だろーがッ!!」

解放され、ゼイゼイと肺に空気を求めがらポップが怒鳴った。

(ちょっと甘い顔するとこれだ!)

まったく油断ならない。
ダイはちぇっと口を尖らせる。

「野郎がんな顔してもかわいくねーしっ」

魂の結び付きは疑いようも無い。
自分もダイを好きな事を受け入れている。

しかし現実実体上の問題となると、これまた別だ。

ダイの方が何でこんなに触れる事に躊躇いないのか、ポップには理解出来ない。

「べ、別にそーゆう事しなくても良いじゃねぇか」

俗にそうゆう行為は、相手の愛情確認が大概だ。
互いが一番大事なんて、今更確かめるまでも無いのだし。

しかし、ダイはしれっと凄い事を口にする。
「無理だよ。ポップに触れると気持ち良いから、本当はもっと…」
「わーっわーっ言うなッ言わんでいい!」

耳を塞いで回れ右すると、ポップは脱兎の如くダイの前から逃げ出した。

聞いてしまったら最後。
世間体がどうであろうが、自分の常識外であろうが、
最終的にその願いを流され叶えて仕舞いそうな自分を知っている。

だから出来うる限り逃げを打つしかない。

「あ!待ってよポップ」

既に遥か彼方をゆく後ろ姿、昔を彷彿とさせる逃げ足はいまだ健在のようだ。

「頑固だなぁ」
ちょっぴり残念がりながら、ダイはポップを追い掛ける。

二人とも少年期の頃は、
どちらかと言うとポップの方からのスキンシップが多かった。
感情の起伏が激しい彼は、
全身で喜びも、哀しみもダイにぶつけてくれた。
その事でどんなに温かい心を貰い、救われたか。

ポップの心に残る傷を知っている。

だからダイも今の自分の素直な気持ちを体現したいのだが。

「二度と離れないよ」
ダイは全速力で走り出した。

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【終わり】
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2008/6/23

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