【一昼夜に、時は流れて】

     《月の在る間》

月光は蒼く静かに強くて、
灯りを落とした方がずっと部屋の中を明るく微細まで照らし見せた。

ポップが此方に背を向け立っているのを、おれはじっと見つめる。

さら、と布擦れの音で、ポップが自分の肩を抱くマントを外すため、片手で端を掴み引っ張ったのだと判る。

淡い黄緑彩の薄く軽い素材の布地が翻って、まるで。
何時か故郷で見た羽化する葉陰の蝶か、
毛繕いのため大きな羽根を惜しげなく広げて見せたオウムのようだと思った。

どちらも数瞬後には飛びさってしまう。

そんな不意の不安に腕を伸ばしかけた時、
ポップが振り返って視線が合う。

「あ…えと…」

半端なおれの手の伸び先が自分に向かっているのと、なんとなく口ごもっているおれの顔とを往復し、呆れたような口の尖らせ方をした。

ふわりと広がった後静かに滑り落ちたマントとそれを追い掛けるように脱いだ衣類は、
その足元へ絡まる様にくしゃりと、とどまっている。

「どこにも、いかねーよ」

ほつりと呟かれた言葉は、まるでダイの内情を透かして見ている様で。
目を見開いたその自分の顔をどう受け取ったのか、声さえ包み込む響きを持って。

「行かねーから」

窓の外から注ぐほの青さに縁取られながら、右手を差し伸ばす。

「…おめぇが、コい」

そうしてポップが何時もの笑顔で咲うから。

一つ、二つ、踏み出した先でたどり着いた躯を、捕まえる強さで抱き締めた。

………陽を退けた白さと引き締まった細い筋の質感は、昔見た時とそう変わらず。しかし新たに加わったモノが在った。

薄く発汗したため手によく馴染む肌の表層を隈無く辿っていけば、
それはより如実に現れてくる。

熱を高めるばかりではないその動きに違和感を察したのか、
赤みを帯びた目蓋が震えて開かれ、思いのほか確りとした瞳が見上げてきた。

「…んだよ?」

疑問を飲み込まず、素直にぶつけられてダイも正直さで応えた。

「……大きな疵、ここ。ここにも」

薄い脇腹を背中まで引く長い疵や、くっきりと浮かぶ鎖骨から、すらりとした項に掛かるまで彫られた引き攣れ。

そんな確実に致命傷だったろう痕が、幾つか刻まれている。

それらはまるでポップの命を刈り取り損ねた死に神の鎌の跡みたいで、ゾッとした。

「あ?ああ…気になんのか」

「違う!違うよ」

何か違う誤解を招きそうで慌てて首を横に振る。

気になったのは、
疵など痕跡も無く癒せる程の治癒の力を持つ筈なのに何故と。

「随分ケチって旅してたからなあ」

その時致命的にならない程度まで回復したら、後は自然治癒に任せた。と、別段対した事では無いような口調で言う。

それらは人伝に聞いたポップの過酷な捜索の旅に違いない。

ダイは居なかった自分へ、自責の念に沈みそうになった、その時。

「時間経ったのは回復魔法でも消えねぇだろ?……でもこれはオレの大事な一部だ」

つとポップの左手が挙げられて、ダイの右頬の稜線に走る十字を、揃えた指先がゆっくりなぞらえる。

「お前のコレみたいに」

その愛おし気に撫で往復する温かな感情がダイに伝わって、たまらず溢れ出した想いのまま手のひらを捉え、シーツの波間に沈め口付ける。

「おれの持ってるもの、全部あげるから、ポップを全部くれるかな」

触れ合わせる口元から、僅かな呼吸の合間に囁いた言葉の意味合いは、
これからより離しがたい存在へと変化する関係への了承を、ポップから得たかったからかもしれない。

しかしポップから返ったのは、高められつつある熱をはらみながらも、きっぱりとした『否』だった。

「いらねぇよ」

びっくりして合わせた瞳は痛々しく、五年前の過去と邂逅するものであったから、ダイはさらに目を見開いた。

「お前の全部はお前が自分で持ってっから、意味があんだ」

―――形の無いものだけ遺され渡されて、それだけを抱えて生きるのは。

「そんなのはもうまっぴらだ。」

だから傍に居ろ。と雄弁に告げられ、ダイの心臓の位置がぎゅうと締め付けられた。

「うん…そうだね」
何時も大事な言葉をくれて、気付かせてくれるのは。

ポップがポップで此処に存在してくれるから生み出される。
思い出でも、面影でも、そんな事は出来やしない。

「ずっと傍にいるからずっと側にいてくれよ」

「その言葉、忘れんなよ?」

額を着け合い細波の様にふたりで笑いながら、

今度こそ透き間無く互いを抱いた。

……朝を越えて、夜を越えて。ふたり揃いそうする事でしか辿り着かないところに行こう。

今度こそ。

【終わり】

2周年ありがとうございます!

うちのサイトらしい話は何かと考えまして、おばかなものとなんとなく暗くて甘いのの二本立てにしてみました。

いきなり雰囲気違いすぎて、読みづらいことこの上ないかもしれません。すいません!
それぞれ少しでも楽しんでいただけたら幸いです。











20100615

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