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古
↓
新
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【狭間】
夕陽に暮れて闇に沈みかけたポップの執務室、
その主の両腕を机に、縫い留めて。
「俺の、願いを叶えて」
ダイはその見馴れた、しかし見飽きない強さを内包する雲母の瞳を、覗き込む。
「――止せよ」
「どうして?」
「一人の願いが叶ったら、誰かの願いは叶わないんだ」
暗に誰を指して言っているのか、ダイはわかった。
長い金髪が思考を横切る。
「知ってる」
「なら、超えるなよ」
溜め息の様な吐息がさらりと、唇を掠めて。
罪深さを呼び覚ます。
だけどもう。
堪える術(すべ)など、…もう。
深い処から湧き立つ想いに押し流されて、今にも自我は瓦解しそうなのに。
自分のものでない体温、その息吹を紬ぐ薄く開かれた唇から最早、
薄絹を隔てた程も、距離は無いのに。
言葉を紬ぐたび、もう、触れてしまいそうな…。
温い呼吸だけが互いを行き交う。
こんな距離でも静涼さを失わないポップに、苦い失望がダイの心臓をジワリと浸す。
「わかった、…だけど」
せめて、この心だけは、その唇に注ぎ込みたい。
「結局誰の願いも叶わないね…」
世界で一番近い距離から、明日からは一番遠い距離へ変わる。
「さよなら」
そっと捕まえた手首を、絡まる瞳を、ゆるりと引き離してゆく。
その日最期の陽光の一筋が部屋を細く棚引き、
全て漆黒に包まれた、
狭間。
――強く引き留められ、願いは二つ叶えられた。
.ルドルフ
2008/08/11
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【変革】
夜明け前、目が覚めた。
窓から遠く、山脈の頂に沈みかけた猫の爪で引っ掻いた様な白んだ月は、
冬の長い夜の終わりを示している。
暁はまだ訪れない。
吐く息と触れた指先が窓の硝子を曇らせてゆく。
夕べは暖められた空間に、冷気がひたひたと忍び込んでいて、素肌を撫でた。
小さく反射的に震える。
その背の後ろからそっと、巻き付く腕に捉えられた。
「そこは寒いよ」
確かに腕の温かさが身体に沁みる。
「お前も寒いだろ」
「ううん、寒くないよ」
同じく素肌を夜の残寒へ晒しているのに。
顎だけ振り返り仰ぎ見ると、まるで万感な幸福の笑み。
余りにも素直過ぎて、
少し、微笑を誘う。
きっとこの夜明けの先、
不安と安らぎにこの心は自由を奪われるけれど。
「後悔してない?」
「するかよ、お前こそ」
「絶対ない…本当だよ、ポップ」
言葉と共に込められた、強すぎる両腕の力にうめいて見せれば、
慌て謝罪の言の葉。
予想通りでまた、笑った。
「今日は何処へ行きたい?ダイ」
「何処へでもいいよ」
何も、変わらないものと、
こうして変わってゆくもの。
何だか酷く、胸に迫って。
…少しばかり泣きそうになり、
ポップは瞑目した。
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【終わり】
2008/08/14.
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ねえ、お前に逢えて、良かったと思うよ。
…意味合いは以前とは少し違ってしまったけれど。
【帰還】
昼間に行われた盛大で華やかな、国を上げての宴を引き摺って、夜はとっくにふけて日付が変わっていても、
世界は祭りの余韻にまだ騒がしい。
篝火は煌々と焚かれ、そこかしこから人々の遠い笑い声が上がり城の内壁に響いていた。
人々は皆微笑み、幸せそうに見える。
内々になった酒宴をするりと脱け出して、城の広間から続くバルコニーへ逃れたポップは、
酔い醒ましの夜風に当たりながら、
眼下に拡がる城下町の華やかな灯火の海に目を細める。
振り返れば磨かれた窓の向こう内側は、親しい顔触れに溢れていて、
みんながみんな、各々に喜びを体現している様子が見てとれた。
知らずにポップの口端にもふわりと微笑みが乗り、
決してアルコールのお陰だけではない、
じわりと暖かいものが胸から全身を包む。
視線の先、その人々の輪の中心にいた人物が、
キョロと辺りを見渡す仕草をしてふと窓を隔てた外にいるポップと目が合った。
幾重のも包容を照れた顔で掻い潜って、
真っ直ぐ自分を目指し歩幅を詰める姿を見とめて、
「なーにやってんだか」
ポップは益々笑みを深くした。
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【続く】
2008/08/20
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【帰還・続】
キィ、と外と内を分ける等身大の硝子窓が、
遠慮がちな音をたてて開く。
「ポップ」
テラスの柵に背を預けるポップの存在を確かめて呼び掛けながら、
するりと直ぐ横に。
寄り添うように、肩を並べる。
今ではほぼ同じ、だけどまだ少し下の目線にまで追い付いた少年。
その夜空色の瞳がポップを写している。
照らす松明の炎の朱色ばかりでなく、昔の頬面影を僅に残すなだからかな流線の頬は、
茜に染まって生き生きとしていた。
「どうしてこんな所ににいるのさ」
「少し酔っちまったのさ。お前こそ、
主役が居ないでどうすんだよ?ダイ」
「だってレオナは酔ってマァムに抱きついてるし、クロコダインもバダックさん達に囲まれてたよ」
「お目付け役はどうした」
「ラーハルトもヒュンケルと何か難しい話してたみたい。で、俺ポップをずっと探してたんだ」
覗き込んできた瞳孔が、闇の中ではキラリと金色を放つ。
……ずっと此処より深い場所にて、長旅の末見付けた時にも、見た色彩。
ぞくりと足元を風が撫で上げる。
怯えではない。……だが。
ダイはふとその視線を、賑やかな窓を隔てた向こう側へ移した。
――何時か見たよね、こんな風景。
そう呟く。
「俺、やっと帰って来たんだって、実感湧いてきた」
「そりゃ良かったな」
「お前が…ポップが俺を取り戻してくれたから」
「そんな大袈裟なもんじゃねーよ。」
「大袈裟なんかじゃ無いよ」
「へいへい」
然り気無く答えながら深層を探ってしまう。
そして邪気のない笑顔に、安堵する自分がいる。
確かに異世界を渡りダイを連れ戻したのはポップだ。
しかし、地上の光を浴びるその瞬間まで。
ダイはそれを望んでいなかった様にも見えたから。
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【また続く】
2008/08/27.
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【帰還・続】
「なあ、ダイ」
「何?」
「…いや、何でもねぇ」
本当に戻れて良かったのかと、そんな問い掛けは愚問な上に傷へ塩を塗り込む行為と思えたからだ。
あの陰鬱とした地下の世界に生きる事が望みの訳がない。
…否、答えを聞くのが怖いのは。
ダイを探して連れ戻したのは、全て
ポップの、我が儘に過ぎないのだからだ。
信じたい、
これからダイを待つのは、絵に描いたような幸せに過ごす日々。
美しい姫に慕われ、救世の英雄と讃えられ末永く幸せに生きる。
其を眺める自分の幸せ。
「…駄目だよ」
何時の間にか腕を強く掴まえられていた。
「俺から離れないで、ポップ」
松明は小さく燃え尽きそうだ、闇の中に金の双眼のみが浮き彫りになる。
窓の内側、あちらの世界が遠く切り離された錯覚がポップの目眩を誘う。
其ほど酔っていたのかと自分を誤魔化してみた。
「…お前の回りには何時でも誰かがいるだろうよ、姫さんだって」
「違うよポップ」
「何が」
ダイは酷く傷ついた顔をしていた。
言いたい事が何一つ、相手に届いてないのを、ともすれば乱暴に怒ってしまいそうな。
「…何だよ…?」
「俺が『ダイ』でいるには、ポップでなきゃ駄目なんだ」
「え…」
「『俺』を呼び戻したのは、ポップだから」
細められる瞳孔が強い光を帯びた。
何時の間にか鼻先がぶつかりそうな近距離に近付いて、ポップを映す。
ぞくり。と、警告は背筋を撫で上げる。
しかしポップは瞳に縫いとめられた様に、動く事が出来なかった。
「ダイ……?」
「そう。名前、呼んでいてくれなきゃ」
―――血の使命に逆らえずにまた、行ってしまうよ?
囁きと共に唇に触れた体温は、火傷のようにひりつく熱さで。
確かな存在を知らしめた。
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【終わり】
2008/08/30..
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