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.【秘密】その7


ポップから顔を反らしたダイの、何時もは力強い眉が今は心中の思いに苦しげに歪められ、
拒絶の言葉は絶対の意志を持ち告げられる。

「ポップ、もう俺はダイじゃない…だから、もう忘れてくれ」

ひっく。

と、緊張感の無いしゃっくりが、ダイから発せられる冷たい気配を中和した。

「…とおもってたがよぉ……」

ぼそりと吐かれた溜め息混じりの独り言は、近距離のダイにも聴こえなかった。

「え…?」


「改めてよぉ、言わせてもらうぜぇ」

握り締めていた襟を手放し、ポップの両手が滑りなぞったのは、ダイの頬だった。

酒気で赤みを帯び、細められた瞳は、昼間陽の下では決して見られない婉然さを纏う。

不意に口もとは歪められ。

「こんのバカったれが―――!!!」

思い切り左右に力の限り引き伸ばした。
それこそ伸縮性の限界点まで。

「いひゃいっ!いひゃいよっふぉっふ――っ!」


端正なラインを描く頬も形無しに崩され、いかな防御力を誇る竜の騎士とてデリケートな場所の痛みには弱い。

パチンと鳴る音が深夜の部屋に響いた。
それこそ頬が良いように引かれ放たれた結果だ。

「てめぇは俺のなにがわかってんだ?」
「なにって?」

「お前はダイだ!」

「だから今はわかなら…」

「ダイなんだよっ」
名前に言霊の理にがあるなら固定するが如く。

「てめぇ!俺がそんなに嫌いか?!もう二度と顔やんざ見たくねぇくらいにっ」

「な…そんなわけないっ!」

にい、と人の悪い笑みが、ポップを包んだ。


.【秘密】その8


その口角の片側を引き上げた笑みのポップが、ダイの鼻先をびしりと指差す。

いや、指すに止まらず、グサリと刺さった。
何時もは肘近くまで手袋に包まれいる指先が外されて素手のため、形良い爪が余計に痛い。

「痛っ何なんだよっ」

「なら何の問題も無ぇ!、お前がゴチャゴチャ言おーが言うまいが、ダイだと言えばダイなんだよ!」

「???、訳わかんないよ」

既に立派な酔っ払いなのだから、言うことに脈略がなくとも当然なのだが、
それなりの決意を胸に告げた事を頭ごなしに否定されて、
しかも相手はヘラヘラ笑っているとすれば
幾ら温厚なダイとてむっとする。

「俺は真剣に言ってるんだ、ポップ!」
「俺だって大真面目さぁ」

振り払われた指を気にする訳でなく、ポップは懲りずに腕を伸ばして、自由に跳ねる硬い髪へ触れてぐしゃぐしゃと撫で掻き回した。

「幾らこの脳みそに山ほど記憶があっても、所詮他人の記憶だ。お前のじゃない」

「そうかも知れないけど、でも」

「何で歴代の竜の騎士や…親父さんはお前に記憶を残したと思うんだ?」

「それは、戦いの参考に知識とか…」

「まぁな、二度と同じ失敗して後悔しねーようにだろうよ」

(そうだ。後悔しないため。)

竜の騎士は三世界の調停者だ、曲がりなりにも負けることは赦されない。

つまりそれは正義が悪に屈して、
世界の均衡が崩れる事を意味するからだ。

何かこの世界を脅かす新たな脅威が起こったならば、ダイは矢張り戦いに行くとおもう。
それに…みんなを、ポップを、巻き込みたくない。

竜の騎士の戦いは何時の時代も苛烈を極め、
記憶に倒れてゆく仲間達。

最後は何時も独りになる。
壮絶な喪失の悲しみと孤独に苛まれる。
…この五年間、魔界をさ迷いながらに、どうしようもなく辛くて寂しくなるとその事ばかり考えた。

(これでいい、一人でいい)

最初から連れてゆくな、大切な者なら尚更。

記憶はそう告げている様にダイは受けたから。

「だけどそんだけか?」

「え…?」

「そうとは限らねーんじゃねぇ?」


【秘密】その9


「よーく考えてもみろや、ダイ」

「何を?」

「お前は何が一番怖ぇってんだ?」

「それは」

失う事だ。

「お前のこった。俺等をじぶんのせいで巻き込むだのなんだのよ、難しく考えてんじゃねーか?」


押し黙ったダイの沈黙は、ポップの言葉を肯定している。

「さっきお前は俺に、いなくなったらもう忘れろって言ったけどよ」

ポップの片手はまだダイの髪をゆるゆると撫でていて、その素手から伝わる体温が酷くダイの胸に痛かった。

「お前は後悔しねぇのか?俺等の事を切り捨てて」

「…っ」

苦しいに決まっている。

魔界に独りきりの時の壮絶な孤独感は、思い出すだけで自分でも良く気が狂わなかったと思う。

諦めなければと言い聞かせながら、何処かでまだ希望を棄てきれずに地上を、願った。

あの日々がまた来るかと考えただけで身が竦む。

だが、ポップがもし自分のせいで死ぬような事があったら…。
(だから決意したのに。)

どうして。

ポップの前だと己の牙城は崩れ去り、嘘を貫け無くなるのだろう。

何も言葉に出来なくなってしまったダイを、ポップは静かな瞳で見つめる。

「俺はさ、ダイ」

強い意志の声。

何時か、月の細く照らす夜に聴いたあの時の様な。


「お前が急にどっか行っても探し出す。絶対あきらめねえ。
…もう証明されてんだろ?」

地の果て、魔界の深淵まで自分を探しにきた魔法使い。

ポップはまごうことなき只の人間だ。

なのに、こうゆう目をする時のポップに、ダイは適う気がしない。

ふと、何時もの軽い調子に肩を竦めて、片目を瞑ってみせた。

「その記憶とやらが、お前が後悔しない選択をする為なら、この時点で失敗してんじゃねーか」


【秘密】その10


「だからさ、意味、違うんじゃねぇかってよ」

「でも…っ」

ならば、何故。

こんな戦いの歴史を、記録を、自分に託すのか。

ダイの両手は今や固く、膝の上で血の気が引くほど握り締められている。

ポップはそんなダイに目を細める。
手のかかる弟を見守る様な、柔らかい光が瞳に宿り、
穏やかな凪に思考は満たされた。

急に態度が大人びたり、突然突き放すようなコトを言ってきたり、
自分とダイを隔てていた五年の距離を否応無しに感じさせられて不安になったが、
何てことない。

ダイの根底は何一つ変わってやしないのだ。

出会った頃と同じ純粋で、素直で、大事なものを守ろうと一生懸命だ。

どうしようもなく、愛おしい。

「…第一、お前を苦しめたくて親父さんが受け継がせたとは思えねーんだ、違うか?」

「それは…確かに」
当然のようにバランの記憶も受け継いでいた。

父の記憶から知った母の面影。

それは本当に異例な事だ。

「お前は親父さんとお袋さんが生きてた証明だろ」

本来なら一代限りの魂、
普通の生物ならば脈々と継がれる命の欠片を、竜の騎士は持ち得ない。

自分が存在した証明が残らない。

(それってさ、…悲しいじゃねぇか…)
ポップはそう感じた。

人の心を持ってたならなおさら。


「俺は思うんだがよ…忘れられたくなかったんじゃないか?」

ダイはポップの言葉を噛み締める。

…自分ならどうだろう、
今こうして自分がいること。
泣いて、笑って、沢山の想いを抱いた。
そしてそれをくれた大切な人達。

ダイは目の前で自分を見つめるポップと視線を合わせた。

大事な、大好きな人。

本当は、自分が再び戦いに離れてゆくと決意していても、
巻き込みたくないから、もう追ってこないで欲しいと思いつつも。

「覚えてて貰いたかった…?」

確かに生きた、その事を。

神々に創られた生物兵器で在ろうとも、魂があり、心がある。

(そうか…それは俺が一番解ってた筈なのにな)

ダイはそっと瞼を閉じ、
何時もは意識の片隅に封じている膨大な記憶を紐といて、広げた。

途端に溢れる数多の色彩。


竜の騎士達が命を賭して守ったもの。

その存在の証明を自分だけが受け継げる。

(確かに生きていたよね)

言いようが無いものが胸一杯に込み上げて、熱い滴が頬を伝った


.【秘密】その11


子供の様に顔をくしゃりと歪めて涙を零すダイの、
硬い髪をゆっくり撫でてやりながら、
ポップは魔界にから戻って此の方互いの間に漂っていた探り合いの様な、
もどかしい気配が、やっとゆるんだ気がした。

「なあダイ、何処へもいくな。とは言わねぇ…だけど一個だけ約束しろよ」

穏やかな声に、ダイは伏せた瞳を上げる。
ポップも自分を見つめていて。
その何時も感情の起伏が激しい面は、今とても凪いでいて、只固く定められた意志だけが見て取れた。


「行き先は必ず教えろ、何処にいようとオレが側に行くから」

「…!」

「グダグダ言うのはナシだ。賭けに勝ったのはオレだぜ?」
一瞬たじろいだダイの開きかけた口に、人差し指を突きつけ塞いで素早く宣言する。

「それが嫌なら最初からオレを連れてけ」

「どっちも結局もおんなじ事じゃないか」

「選ばせてやってるんだから、感謝しろっての」

してやったり、とゆうまるで子供の様に全開でポップが笑うと、
ダイが情けなく下がった凛々しい眉で恨みがしく見つめた。

「んな顔しても駄目だぜー」

そうしてハタと何かを思い付いた様に、手を打った。

「そーだ、お前前科者だしー。姫さんにも制約の立会人になってもらおーか」

「さっきの事話すのか?!」

「当たり前だろ〜?散々待たせたあげく、こーんな薄情な事を言う奴だ、ちゃんと誓約書でも書いて貰わないと安心出来ないな〜」

完全に遊んでいる。

びくりとダイの肩が跳ね上がった。
先だって長い眠りから覚めた折りに、
レオナには散々泣かれ、その後延々怒られたのが身に身に染みていて、
それがありありと蘇ったらしい。

その上更にこの事がバレたら…。

ポップはそれを知っていて、ワザと言っているのだ。自業自得だと笑っている。

「ポップ御免っ!ホントに反省してるし、もう言わないから!それだけは…っ」

結構必死で考え直して貰おうとダイはポップの両肩を掴んで訴えた。
知らず知らず力が入り、必死さに加減を忘れてられ、
ポップの体は哀れ台風の風に煽られる柳の様にガクガク揺れた。

「や、やめろっそんな揺らすと…っ」

せっかく少し忘れて落ち着いていたのに。
熱が冷めない頭と、強い刺激に抗議を上げっぱなしだった胃が、再度同時に混ぜられて…。

「う゛…っ」

「…え??」
その後の大惨事は…
ポップの名誉の為にとゆう名目で伏せる事になった。


【秘密】その12


この時期、パプニカの朝は海の朝靄が深く街を浸し、
朝日が高くなると共に、空気中に光の粒を反射する実に美しい光景が見られる。
パプニカ王国の名景色の一つにも上げられているその光景を、
ぼんやりと部屋のソファーに座りながら、
ダイとポップは並んでバルコニーに隣接する硝子扉から眺めていた。


「もう朝だー…」

「朝だじゃねぇよ…ったく」


疲労困憊。

あの後、大荒れになった部屋の毛長な絨毯や、
その時慌てたダイが転がっていた空瓶を踏んづけポップの執務机にぶつかり、
上に積み上がっていた本やら書類やらをぶちまけて、
それらを巡回の夜周り警備兵に見つからないように
ひっそりこっそり掃除するのは、かなり大変だった。

やっと片付き、とうとう力尽きてソファーに座り込み船を漕ぎ始めた頃、
朝日が実に爽やかに登ってきた。

「疲れたね…」

「誰のせいだ誰の」

もう怒る気力さえない上に、ポップの頭は割れそうなくらいの頭痛に苛まれていた。

完璧に、しかも最悪な二日酔い。

今日も山ほど仕事が有ることを考えるだけで、ポップは気が遠くなりかけた。

そのフラついた肩をダイが支える。

「大丈夫?ポップ」
疲れてはいるがまだ余力を残しているダイと自分の体力の差に、少しばかりポップは口を尖らせて。

しかし逸れをため息と共に外へ押し流した。

「…ちっとは反省してんなら、判ってんだろーな?」

「…うん、約束する…どこに行こうとポップに必ず言うよ」

それを聞いて。

不意に小さく微笑んだポップの、額がすうっと近づいてダイの堅い胸板に押し付けられた。


「なら、いい」


静かな声に含まれている安堵と少しの、苦渋を含む気配。


その声に、ダイは呼吸が苦しくなるほど胸が詰まった。

二度と逢えないだろうと分かたれたあの日から…探して、求めて、
とうとう自分に辿り着いてくれた大事な人は。

今も五年前と変わりなく、ダイを理解して受け入れ優先してくれる。
傷付く勇気を背負って。


「ポップ、俺、またお前にまた逢えて良かった」


震えた声は、抱き締めたポップの肩口に吸い込まれたが、

応えるように強まったポップの両腕で想いが届いた事をダイは知った。


【秘密】その13


長い夜が明けて、人々が起き出す前にダイも自分の部屋に戻ったのだが…、

何故か数時間後にはレオナの執務室にて顔を合わせる事となった。

揃って寝不足、しかもめったに疲れを感じないくらいタフなダイまで、珍しく疲労しているなんて。

ポップに至ってはバッチリついた眼の下の隈が、悲壮な感じに拍車をかけている。

(…絶対に二人の間に昨夜何かあった筈っ)


猛烈に怪しいと勘ぐるレオナは、ダイとポップを個人執務室に呼びつけ、
二人はまるで悪戯を叱られる学童の様な有り様で、立たされているワケだった。


「ちょっと二人して何を隠してるの、言いなさい」


万が一発端の一片でも漏らしたら、其処から芋蔓式に引き出されて、
必然的に全ての話を説明しなくてはならなくなる。


『それは絶対に嫌だ!』

思い思いの利害から。

互いに明後日の方を向いて、知らぬ存ぜぬを貫く事を打ち合わせていた。

「しかも何でダイくんは眼まで瞑ってるのよ?」

特にポップは隠し事が苦手なダイに、
絶対レオナの質問が集中する事も予想し、

「お前は眼も口も綴じとけ!」


と厳密に言い渡されていたので、今の様な状態に至る。


「ダイは魔界から戻ったばかりだろ、昼間の太陽が眩しいんだとよ」


しれっと横槍を入れるポップをじろりと睨みつけて、レオナの疑惑は薄まる所か深まるばかりだったようだ。

(だいたい二人とも仲良すぎるのよ!怪しいわ、絶対怪しいっ。鈍いポップくんは兎も角、ダイくんが『そっち』に目覚めちゃったら私はどうなるのよ!)


微妙なお年頃の女性としては、好きな人の心が誰のものになるかは最重要だ。

ダイが目覚めてからこの方、夜な夜なポップの部屋を訪ねて行っている事は報告を受けていた。


こっそり様子を探らせてはいるものの、今までは普通に会話をしていただけであったようなのに…。

(夕べはポップの怒鳴り声やらガタガタと物が軋む音やら聞こえたって言うし)
しかも今朝の二人の態度はコレだ。

ついつい考えたくないレオナにとって最悪な展開へ想像は拍車がかかる。

内心のそんな焦りを微塵も表には出さないで、
レオナはニッコリ美しい微笑みで城主の権力を行使する事にした。

「言いたくないなら、いいわ。二人ともとても疲れているみたいだし?でも夜ゆっくり休んで貰うためにも、当面夜間の部屋からの移動を禁止します」

「えええ―――っ!?」

非難の声を上げたのはダイだ。

猛烈な不満の気配にレオナの危惧は最高峰へ駆け上がる。

「と、に、か、く!特にダイくんはまだ全快して無いんだから、ぜーーーったいに駄目よ!」


(なんでそんなに残念そうな顔するの!はっ?!もしや二人は既に…?)


尻尾が垂れた大型犬の様なダイを横目で見やるポップの、
柔らかい表情と口元をちらりと掠めた微笑み。

何だか見せ付けられた気がして、レオナは物凄く歯痒くなった。


(もー!絶対に割り込んでやるんだから!)


例えそれが無粋だとしても、構わない。

(いつかその秘密、暴いてあげる)


レオナは無自覚に愛情オーラを振りまく二人を前にしながら、力いっぱい心に誓ったのだった。


【終わり】

はーっ
やっと終わりです。
やたら長くってすいませんでした。

2008/11/05


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