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目を開けたら暗闇だった。

一瞬、一体自分が何をしていて、何処にいたのか思い出せず瞬きをした後、
右手に釘を握っている感触が無くてハッと息を飲む。

何時も寝る時には不測の事態に備えて、一本抱えて寝るのが癖になっていた筈だ。

何か通常と違う。

冷や汗と共に飛び起きた。
休息を求める体が痛みの悲鳴を上げたが構わない。

死んだら全て終わりなのだから。

ぼんやり闇に浮かぶ世界。
見慣れぬ部屋の布団に、自分が寝かされていた事を
金剛は把握した。

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【止まり木の庭】

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「ここは…」
何処だ?
簡素だがしっかりとした造りの日本家屋の部屋、広さは十畳程だろうか。
金剛が寝かされていた布団の直ぐ右手に廊下と繋がる障子が並ぶ。
見知らぬ部屋。
どのみち毎日が見知らぬ場所に寝泊まりして目覚めるのだが、こんな立派な宿へ泊まる筈がない。

「そうだ手帳ッ釘…ッ」
自分の背負いのバックは枕もとに置かれていた。
大事な唯一の荷物、今の自分の全てと言ってもいい。

引き寄せ中を点検する。
手帳は脇の小さなポケットに入っていた。大丈夫、異常は無い。

「よかった」
最悪他の荷物を失ったとしても補充出来るが、この手帳は代えがきかない。
そしてこれさえ無事ならば、自分は進んで行ける。

服は脱がされ、身体中の傷が手当てされていた。
闇に目が慣れると、封魔師の外套も、壁にハンガーできちんと掛けてあるのが見えほっとする。

時刻は夜明け前らしい。
しんとした静寂が落ち着かない。
改めて自分の記憶を探ってみた。
確か夕べ、細い糸のように繋がる邪煉の邪気をやっと探り辿って、ある学校に辿り着いた筈だ。
そこで魔物を仕留めたが、邪煉とは別者だった。
しかもその学校は、魔物の力が増幅するとゆう師匠の手帳にも記してある噂の神有地で、
結界師と言う随分年若い二人の異能者が守人としていた。
素性を聞かれて勢いよく名乗ったまでは良いが、ピークの疲労を鞭打ってここ何日が邪煉を探していたので、
ブツリと体力が底をついてしまい、気を失ってしまったようだ。
「しくじったな」
ひとりごちる。
久しぶりまともに人と話したせいか気が弛んだ。
それがいかに〈奴〉が付け入る隙になるか、今更ながらゾッとする。
「ここはあの異能者達の家なのか…?」
二人の服に付いている紋は同じだった。

手当てされている処をみると、ある種侵入者の自分に対して随分甘い性格である事が伺い知れる。
他の土地で出会った異能者達は、何時もよそよそしく、関わりを持つことを嫌った。
金剛はふとそんな考えをする自分が軽薄な人間の様な気がして、ぶるっと頭を振る。
長らく一人で旅する間に、身を守るため、疑い、警戒する事に慣れてしまった。
しかしあの二人からは、嫌な印象は受けなかった。
信用してもいいだろうか。

部屋は異常に静かで、この家事態がある種の結界に包まれている事を示している。

護られている。

そう思うと、肩の力が抜けて、金剛は自分が寝かされていた布団に再び横になった。
触れる布は良く干され乾いた日の香り。

「…暖かい」

どれくらいぶりだろうこんなまともな寝床は。
命の心配をしなくて良い眠りは、三年前に故郷を発ってから数える程しかない。
空腹も満ちていた。

そう言えば朦朧としてる間に、何だか強引に食事を取らされたような覚えもある。
「…」
されるがままになった事は恥ずかしいが、正直本当に有りがたかった
しかし。

「行かなくては」

金剛は勢いよく立ち上がると、枕元にたたんであった自分の服を身につけた。
封魔師の外套を羽織り、手袋を嵌めると、心も身体も引き締まる。
「邪煉は必ずあそこに来る」

魔物の力を増幅、回復させる烏森の地。
空腹と長年の封魔師による傷で、邪煉はより凶暴狡猾になっている。
いくら自分と主従関係を結んでいても、こんな市街地に現れたなら犠牲が出るのは時間の問題だ。
それだけは、何があっても防がなければならない。
だから今気を緩ませる訳には、絶対いけない。
それにもう少しなのだ。
自分の未熟な腕では不安があったが、師匠とその兄弟子、鎖上の釘が奴の身体にめり込んでいる。
この三年間で封印への足掛かりも大分出来た。

もう少しでやり遂げられる。
師匠の望み。

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金剛は釘が入ったバックを背負うと、廊下に続く障子を開けた。
薄蒼く東の空が白んでいる。

玄関は当然鍵が掛かっていた。
正面玄関を開けっ放しにするわけにはいかないので、靴だけ持ってきて先程の外に面する廊下の鍵を開き、中庭から外に出ることにする。 
音を立てないよう気をつけて戻り、中庭に下り立った。

「行くのかね」

びくりとして咄嗟に身構えた。

「感心せんな、無茶は」
暗い庭で顔が見えないが、昨夜会った結界師でないこと声で判る。
「誰だ貴様…何をしている?」

「やれ、最近の若者は年上に対する礼儀がなっとらん」

庭の真ん中でその人影は…寒風摩擦をしながら溜め息をついた。
黒い袴に、着物の白髪の老人だった。

「ワシはここの主じゃわい、繁守と言う」
矍鑠とした雰囲気と声は、確かに威厳を感じる。
金剛はいずまいを正し頭を下げた。
「…お世話になりました」
「礼なら孫に言え」
「え?」
「お主を連れてきたのは孫の良守じゃわい」
良守…あの男の方の結界師か。
金剛は老人の脇をすれ違い、通りすぎようとした。
「老婆心から言わせてもらうがの」
夜の闇より重く静かな繁守の声は嫌でも耳に届いた。
「お主、今のままではいずれ」

「死ぬこととなる」
「な…っ!」
流石にカッときて金剛は振り返った。

怒気をはらんだ気配にも、年輪を重ねた者の余裕か、繁守は別段代わり映えしない仏頂面で金剛を眺めた。
「強い敵と戦うには、心身ともに充実していなければ為らん」

「だが俺が行かなければ止められない、のんびりなどしていたら被害が増える!」
相手が恩を受けた家人とゆうことも忘れ言葉を荒げた。
「ではそのお主が倒れたら誰が意思を繋ぐのかの?」
「―っ!!」
痛い処を突かれ金剛は息を飲み込んだ。

死んだら全て無駄になる。

無意識に外套のポケットに入った手帳を布地の上から握り締めた。
何故にこんな接点も薄い離郷の地にて、師匠の言葉と同じ言葉を聞くのか。

「…それでも俺は、他に道を知らないんです」
まるで師の前に立たされているようで、金剛は視線をさ迷わせ重守から反らした。

「他に誰もいないからこそ、俺が行かなければならないんです」
「御主だけが背負うものなのか」
「俺だけが」
背中の釘の重さ、草臥れた外套の暖かさ、摩りきれたブーツの馴染み。
今でも決して忘れない、癒えない
大事な人が目の前で一瞬で消え去る恐怖。

これは他の誰も背負い負いようがない。
自分だけが共有する罪の記憶。

「もう俺の後には誰もいない。だから」

金剛は真っ直ぐに重守の眼を見返した。

「その願を叶えるまで、俺は決して死にません」
しんとした朝靄が立ち込める庭は、まるで彼岸の岸辺の様に二人を隔てて距離を生んだ。
「…そうか、ではワシはもう何も言うまい」
何処か吹っ切れた様に晴れ晴れと重守は笑った。
その笑みを金剛は何故か酷く羨ましく感じる。
この初老の人物は、もう自分の生涯と決めたものを他者に譲り渡してしまっているのだ。
そしてその行く末に自信を持っている。

「お主、烏森にゆくのならワシの孫に詳細を聴くがいい、きっと力になるだろうて、くれぐれも身体を大事にな」

それだけ言うと、重守はくるりと踵を返し、縁側から自宅へ入ってそのまま去ってしまった。
金剛は暫しその後ろ姿を見送った後、暁の空を挑むように見返した。
「奴を封じる、俺はその為に今生きている」
誰にでもなく、自分自身に、金剛は言霊を唱えた。

全てをやりきったなら、師匠は。

あの現結界師の祖父の様に、安心した信頼の笑みをうかべてくれるのだろうか。

自分の身体が今ぼろぼろなのは知っている。
でも自分の言葉に、あの老人は清々しく笑った。
信じているように。

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朝の清廉な空気を肺に一杯吸い込み、金剛は暁を見据えた。

この庭を出れば安穏と庇護は去り、また独り。
しかし足取りに迷いは無い。

青く染まる朝の中を長い路へ一歩、金剛は踏み出した。

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【終】

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- 2007.05.19 -

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